イラク戦争時、当時、確か、記憶が正しければ、1990年、湾岸戦争に始まり、大量破壊兵器を持っているという理由だったが、軍事侵攻したのだけれど、結局のところ大量破壊兵器は見つからなかった、当時、確か、アメリカのブッシュ大統領から、Show the flagだったか?要求されるところとなったが、要は国旗を示せという事か?良く考えてみれば、日本国の国旗を示しなさいというところによって、我、汝という事から明らかな様に、幸か不幸か知らないが、国というものは、確かに存在していて、憲法改正だ、一億総活躍だ、やれ可視化だ、子供を守れだの、やさしい社会だ、この国に住み、日本で国籍を持つ人々は、何ら、自らの、言論や思想を成熟させて来なかったのではないのだろうか、例えば、日本の原子力政策一つとっても、不可解な部分が多いのだけれども、プルトニウム保有量は、イギリス、ロシア、フランス、アメリカ、の順に次いで45.5トン保有していて、戦後、一億総懺悔のもと、1946年か?憲法の第一章の天皇は日本国の象徴であり、日本国民の象徴であって、この地位は主権の存ずる日本国民の総意に基づく。もう一度、言えば、主権の存ずる日本国民の民意によるところとなっている訳で、勿論、長い間、育まれてきた、日本の文化や、その思想は、自由であるのだけれども、天皇陛下は神様であると捏造し、敗戦を迎えて、日本には、直接の戦争には至らなかったが、東西冷戦があって、湾岸戦争があって、イラク戦争があって、その先程の話ではないが、show the flag という、他国からの要請があって、日本国の、また憲法でも保証するところの、その天皇の下での、日本国の国民、国籍を持つ人々の、その国家の象徴の下での核物質の保有と、望もうが、望まなかろうが、戦後から77年間の現在であって、日本の人々が、自らが、選挙という、正当な手段を持って、民意を反映させる様に努めているのだろうか、戦争が終わり、その安堵によって、事実を捏造し、正当化してしまった、その事を忘れてしまってはいないだろうか、そんなところで、親中だの親米だの、核という議論以前の、こんな宙に浮いた事をやっていて、とても言論や思想の自由から程遠い、何ら成熟させる事の出来ない、実際の現状とはかけ離れたものではなかろうか。これからも、技術や科学は、進歩し、新しい発見もしていくのであろうが、過去から学び、勉強し、人間として成熟しないことには、民主主義は腐敗し、再び、愚かであり、悲惨な結果を招くのではなかろうか。人間は忘れてしまいやすい。恐らく、既に政権の中枢は、その自らの保身だけのために、その情熱を注ぐ事へと終始し、当時の首相が、経済協力という名の下にロシアへとすりより、その狡猾さを表面化させただろう様に、共に、またその支持層がそうだった様に、話は逸れたが、敗戦後、憲法上、国民の象徴が明文化された、天皇があり、くどいようだが、その状況下での核の保有、平和とする事、自体が、説明のつき難いものであり、例えば、核物質を持つに至るにしても、その民意によって、国民の総意によって、国土の状況や、その管理方法から、何から何まで、保証された上で、管理に至る事が説明がつきやすいものであって、くどい様だけれども、例えば、アメリカでも同盟国が戦争を開始したとして、国家の象徴として、憲法上、天皇という存在、核、自治会、日本語学校だの、何だか、平和を守れだとか、一億総活躍だとか、全く不戦の誓いは何処へやら、その実践の一つとして、主義、思想、信仰や、それぞれあって当然なのだけれども、平和のその実践の一つとして、最低限、日本に核は無い事が、それを事実とする事が可能であるのだろうし、それを可能とするのも、民意、国民の自由なのであろうし、恐らく、主権在民をもう、自らによって、在民によって、77年間によって、腐敗させ、死に絶えさせてしまうのだろうか。ただ、核は、国家だけでなく、限定された地域だけでなく、拡散してしまう訳ですから、そういった意味では、笑い事や冗談では無く、真剣に考える時間を必要とし、その我慢比べ、チキンレースの真っ只中なのだろうか。