世界同時不況後なのだ、クリミア、ジャスミン革命アラブの春といった様な、変化が顕著に表れたのは、

それを押さえ付ける強権的な、いや、力による、支配を体現したのは、中東各国だけでなく、地域の不安定化を表面化させたのは、その国家だけでないはずだ。ロシアは力により領土に介入した、フィリピンのドゥテルテは、超法的な手段を用いた。私刑の他ならない。世界の秩序が崩壊しつつあったそれに便乗したのだ。

例えば、資本主義と民主主義による、統治、それには、法という、暴走を止める規則があってということが、その法を無効化することは、つまりは、力は暴走するのだ。ありとあらゆる、資源、資本、人、金、物が法を骨抜きされる事により、たがが外れてしまった様に暴走する。

力の暴走。

ペッグ制が示す通り、地域によっては、とても、太刀打ち出来ない程の力の開き。

右傾化だろうか?

否、国民国家への再考だろうか?イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ルーマニアウクライナ、イラン、トルコ、中国、北朝鮮、右傾と呼ぶには、疑問が浮かぶ。国民国家の追求、主権在民の基本なのでは無かろうか?いわば、法治国の質、精度の追求と呼ぶには、早とちりだろうか?衝撃による、混乱による、文化、社会資本、歴史、最終的には、国民の喪失、危険なものと直感し、表面化しているのは、過ちだろうか。

言語の喪失による多くの難民を生み出すこと、喪失、絶望感。時間を取り戻す事が出来ないという事への、認識。

国民不在の地域、法の無い地域、まるで、如何にも、原始共同体の様な、文化的側面を持たない人々が共同体を持ち、争い、力により、制圧する事に対する否定となって表れたと考えるのは、過ちだろうか。