シリア、アラウィ派の将校暗殺について 

2015.8.ラタキアでアラウィ派の人々の大規模集会があり、 多くの人々は、アサド大統領の親戚である、スレイマン-アル-アサドの処刑を要求した。
彼はアラウィ派の将校であるハサン-アル-シャイフを自動車事故により殺害した。
この出来事は1970代からのアラウィ派の力そしてシリア中央のアサド派閥の弱体化への同派の不満の上昇が反響したものである。
彼らは外国が背後にいるとするテロリストと呼ばれる者たちを打ち負かすという約束が果たされなかった事に不満を募らせた。
2012.7.アレッポでの反体制側の大規模な攻撃において、体制は最後の戦いになるであろうとしたが、それは叶わなかった。
2014.8.ラッカのタクバ空軍基地での、ISによるアラウィ派を主とした大虐殺にたいする同派の体制への抗議が、約束が空中に浮いた状態への不満を示すものである。
アラウィ派はその険しいシリア沿岸の山々と共に1000年の間、存続した。
十字軍は虐殺した他の宗派のイスラム教徒と共にアラウィ派を一緒にしたが、彼らはアラウィ派にキリスト教の様な側面、生活様式を見つけた。
14世紀初、スンニ派、ママルークはアラウィ派を掃討した。1318年、3000人のアラウィ派の反乱時、 カイロのスルタンは宗派全体の殲滅を要求したが、彼等は生き残る為、反乱を支持しなかった。
反乱の指導者達はオスマン帝国により、滅亡したが、アラウィ派は存続した。
対照的にイスマイリ派
は迫害に苦しんだ。
1516年にオスマン帝国シーア派サファヴィー朝との共謀疑惑でアラウィ派を根絶する様にみえたが、沿岸の山々の岩盤地形が彼等を救う事となった。
彼らは、オスマン帝国の規則の下、タキヤ、taqiyaを慣習とした。
1936年の後、仏の為政権が衰退し、アラウィ派は再び敵対的な環境の中におき、妥協する必要をせまられた。
レイマン-アル-ムルシド(1946)、息子のムジブはアラウィ派の自治権を主張し、反乱を試みたが、他のアラウィ派は部族は拒否をし、新シリア政府により、彼等は滅ぼされた。
ハーフィズ-アル-アサドは1970 年、アラウィ派にとって、最も危険で、突出した力を得た。
彼は、それ故、シリアのムスリム同胞団の脅威を認知した。(1976-82年)
しかし、多くのスンニ派の聖職者、ダマスカス、アレッポの商人、地方のスンニ派の人々を含む、幅広い連携をし、全体を支配する事となった。1982年、ハマでの反乱を抑えた。
2012.6.反体制の力はダマス、アレッポに及び、
7/18、4名の体制の上級人物の暗殺、大統領の少年時代の友人のManaf Tlass氏を含む上級の脱営者が現れ、アサド体制は地方、2主要都市の境界の支配を、同時に進行し、もがいていた。
多くのアラウィ派の人々はその時、力の喪失が引き起こされる、始まりを信じたのかもしれない、
アラウィ派の脱営者は珍しかったが、徐々に増えていく事となった。
2013、ヒズボラがシリア内に介在し、戦略的国境の街Al-Qusayrを包囲し、アサド体制は再び軍を回復する事となった。
2013.8/21、ダマスカス郊外のゴータ地区で科学兵器攻撃があった後、米国は明らかにシリアへ進んで介在しないと論証した。
アサド体制の回復はアラウィ派にとり、厳しい選択となった。彼等にとり実用的な選択はアサド体制に固執する事だった。
更に、Al-Nusra、IS、や他の過激派はアラウィ派支配地域を杭でとり囲む様に包囲した。
2012年からアラウィ派は、都市部から外れたシリア内陸部、沿岸の安全地帯、北西シリアの山々へ進路をとった。
しかし、仮にアサド大統領がダマスカスの支配を失ない、アサド一族の故郷であるQurdaha村やラタキアに退却すれば、原理主義者は彼らの言う、シリアの"異教徒"であるアラウィ派を消滅する事を決心し、沿岸部に押しよるだろう。
また、穏健派シリア反体制側との融通を切ってしまえば、 彼等にとって、危険の及ばない地域を見つけようとする試みは増え、多くのアラウィ派の人々はアサドを支持する力を失ない、離反する事になるであろう。
2005年、以前、影響力を持つKana'an一族の彼らの族長、Ghazi Kana'anは内務省の内部で、彼の兄弟、Ali Ghaziは線路で死亡し見つかった。
アサド体制後のシリア沿岸を強制的に包領とし、切り外す試みは彼らとって、
危険の終結を成功させる事にはならない様だ。
新しいシリアにおいて、ほとんどのシリア人、如何なる沿岸地域の分離は受け入れられないだろう。
トルコは分離論者の先例に強く反対するとみられる。
また多くのアラウィ派の人々も新国家をもつのは不可能だと認める。
1936年、アラウィ派のシャイフ-アリ-イエラルは3月、『我々はシリアの分裂はしたくもないし、考えていない。』述べた。
スンニ派の支配するシリアはつくられるべきであり、
新しい出発でアラウィ派全体の大虐殺を始めたくないであろう。
国際的な状況は同盟国のイランの核合意など、
アサド体制にとり、好ましい背景になりつつあり、直ちにアサド大統領との回復をし、外交的主導権を模索している。
これらの国際的な策略は、
再びアサド大統領がアラウィ派の支持を得る、力へと変貌する。
アラウィ派の人々は甚だしく消耗し、2011年以来、彼らの犠牲の値に幻滅した。
レイマンアルアサドの様なアサド一族のとりまきによる、悪党の様な振るまいは、単純にアラウィ派の人々の怒りそして不満を混ぜ合わすだけである。
レオン.T.ゴールドスミス